鹿野力氏は、日本の社会・政治思想を専門とする英文季刊誌The Japan Interpreterの主幹を長く務めました。学術テキストの英語訳の達人であったことは今もよく記憶されています。旺盛な読書家であり、日本社会の識見豊かな探究者でした。日本社会が海外にどう映っているかを念頭に、英語を読む人びとに日本を解説しつづけました。また後進の翻訳者の育成に生涯を捧げました。経歴の当初から「日本人が日本の思想を英語で伝える能力を増進させ、英語を母語とする学者・研究者が日本の思想を英語で伝達する能力を高める」(1967年頃)ことを志向していました。

1979年の “The Alchemist(錬金術師)”と題する英文エッセイのなかで、こう書いています。

「もっとも重要なことは……滑らかで、論理的で、練れた自然な英語を書く能力である。真に深い意味での翻訳者か否かは、原文が(著者の氏名を除いて)日本語であったことを微塵も感じさせずに英語に書き換え、しかも著者の言わんとするところを忠実に伝えられるか否かによって判断できる」

鹿野氏は“メンター”として数多くの学者や翻訳者を育て、チーム翻訳に揺るぎない信頼をおいていました。

「それでも、概念的理解力と語彙力に優れた日本人と(英語の)ネイティブ・スピーカーが組んだ有能なチームならば、いかなる日本語文献も翻訳できるとわたしは思う。一般に翻訳不可能と考えられている文献とて例外ではない。原文の日本語の語順、センテンス順、スタイル、語彙などを忠実に守りたい人たちとは、ここで一線を画することになるだろう。批判的な人から見れば、ある種の日本語の文章の英訳文は原文からあまりにかけ離れて、そこにいかなる邪悪な魔術が働いたかと訝しくさえなるかもしれない。しかしその訳文が技術的に質の高い仕事であるならば、さらなる精査によって、それこそ著者の言わんとするところを正確に言っていることがわかるだろう。要するに、著者が日本語で言っていたことを、英語で読む人たちにそのまま伝えているのである。とくに文学や詩の場合、スタイル、ニュアンス、原文の美しさなどがどうしても損なわれるが、それでもそれはその文章を翻訳しない理由には決してならない。

具体的にいえば、翻訳者の最初の仕事は、原文の概念と方向性を汲みとり、主要なメッセージと、その裏づけとなる要素を、さまざまなレベルの重要度を識別しながら把握することにある。次に、その理解を頭脳の錬金術を駆使して加工し、思考や事実を英語の論理における役割にしたがって概念的に再編成する。この段階では、日本語の段落の最後の一文を英語のパラグラフの冒頭にもっていったり、いくつかのセンテンスを組み変えて相互の関係性をより明確にしたり、説明的な要素や補助的な文章をもっとも効果的な場所に移動させたり、といった作業がしきりとくりかえされる。

....日本人には、知的領域において世界に提供すべきもの――西欧思想の模倣でも翻案でもないもの――が多くあるとわたしは信じている。そうでなければ、報われることの少ない翻訳という仕事をこれほど長く続けてはこなかっただろう。これまでは、日本の社会科学の思想家たちの生みだした知的資源は、現代、過去を問わず、世界的にほとんど利用されてこなかった。その原因の大半は翻訳にある。そもそも日本語が難しいこともあるが、西欧の思想こそ世界の思想であるという、根深い、ほとんど無意識なまでの観念のほうがもっと大きな障碍になってきたと思う。これが間違いであることはようやく気づかれるようになったが、日本の場合は、まず翻訳の質を高めて、日本語で書かれたものを他民族にむかってその言語で提供できるようにならなければ何も始まらない。その最初の一歩が英語なのである」